マレーグマの頭のなか

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メディアアート鑑賞 覚書

僕はファインアートもメディアアートも好きで、年に何度かは美術館や博物館に行ったり個展やギャラリーに出向く程度には情報を摂取している。3月11日にいろんな展示が終わるにあたって、ICCに足を運んできた。メディアアートは大きく二分して、コンセプチュアルアートと体験型アートがあるように思う。

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どちらにも大きなコンセプトや目論見があるとしても、体験型アートは実際にやってみて楽しいから誰でもとっつきやすい。体を動かしたり、音を聞いたり、音と連動する光が点滅する様を見たり。一方コンセプチュアルアートの方は分かりづらい。ある一定の動画が流れたり、大きな何かがそこにおいてあったり。

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その分かりづらさというのは、作者が提示するコンセプトに対して、自分がもつ価値観を照らし合わせたときに合致するかしないかの幅が大きいからのように感じる。合致すればそれは素晴らしい作品のように思えるし、そうでなければよく分からない作品がそこにあるように感じてしまう。例えば日本では、銃乱射事件のような事件は欧米に比べると非常に少ないため、銃をモチーフにした作品に対してはセンセーショナルな映像だな!くらいにしか思えず「よくわからなかった」という感想が出てきやすそうである。

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ファインアートを楽しむためには、その当時の風俗や歴史を知っていればより楽しむことができる。つまり最近のアートを楽しむためには、現代の世の中で何が行われているか知る必要がある。世界でどういうことが問題になっているか。難民問題、核兵器、温暖化、独立問題 etc. いろんなことを知ることで自分が知らないところでどういう価値観が育まれているのか、どういうものに危機感を覚えているのかを共有する。シンパシーではなく、エンパシーをする。そうすれば、このアートで伝えたいものが分かる。

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どのような技術で作られているのか、どういうアルゴリズムで作られているのかを想像して体験をすると面白い。言語レベルの話ではなく、どこで動きを取得して、どういう変換の元にこれがアウトプットされてされているのかを想像する。それはキャプションには書いてないことがほとんどなので、あとでどこかのインタビューで書かれていることと合致したら非常に嬉しくなる。意外と自分でも作れるんじゃないかとか思ったりする。現実は作れないのが辛いところだ。

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ファインアートならまだしも、メディアアートで先にキャプションを見てしまうのは非常にもったいない。見て、聞いて、触って作者のコンセプトや目論見を想像する。その想像と答え合わせをして、何故この人がそのコンセプトを据え置いたのか、自分が何故そう思ったのか、その源泉はどこにあるかを考えるのが面白い。キャプションを見ず、まずは自分の感じたそのまま信じてみることがアートと向き合うことなんじゃないかと思う。だってそうはじめに感じたんだから、それは正解の一つなんだよと言っている。