マレーグマの頭のなか

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愛着はどこに

 先日ZOZOTOWNが満を持して出したZOZOSUITを予約した。実は自分がZOZOTOWNを利用したのはコレが初めてで、会員登録もした。そしたら、ZOZOSUITのために会員登録した人が意外といて驚いたと言ってる人もいて、えへ、そんなもんかなーと。まぁ確かに同じ年代くらいの人たちにとって見ればZOZOTOWNって割と普通に使われてるもんね。今じゃ服屋のAmazonみたいなもんだろうから。

 なんでZOZOをこれまで使ってこなかったんだろうって振り返って考えて見ると、一つは単にネットで服を買うのが面倒だったこと、もう一つは服に逆に興味がなかったんだろうなという二点が編みにかかった。

 

 一つ目は、自分の体型が割と一般的な人と比べると基準値から外れていることが要因。身長は基準値付近にあれど、BMI17の痩せ型な割に肩幅が広かったりして、実際に試着することなく買った結果捨てることになることもままあった。記述されている数値だけを見て、ECサイトで服を買っても着丈や腕の長さが上手く一致しない場合が多かった。

 二つ目の方は、なんだかんだこだわりはある方だから本当かどうかは未だに疑問ではあるけど、昔から女性とするウィンドウショッピングがわりかし好きな自分が出した一つの結論だ。油絵を描いていたときの話

とも似たようなもので、油絵を描くことよりも、みんなでワイワイしながら油絵を介したコミュニケーションを執り行うこと自体に楽しみを憶えていた高校生のときと同じだろう。結果振り返ってみると、無意識下で服もセルフブランディングやコミュニケーションの一部だと捉えている。「たとえどんな服を着てたって、その人には変わらないんだから服なんてどうでもいいじゃないか。服そのものよりも、服を介したコミュニケーションや服を一緒に買いに行ったときの思い出の方が振り返って大事になってくるだろう」そんなことを経験上導き出しているのかもしれない。

 

 去年の今頃、オーダーメイドシャツを作った。一つ目の理由で上手く着られる服が欲しくなったことと、コミュニケーションの媒介としての服ってのは、あんまりにも悲しいかもなって思ったこと、そして服そのものより服が作られる過程に自分が介入することでより一層好きになれると思ったからだ。今日読んだこのお話

の ”彼女” もそういう気持ちが強い人だろう。”彼” は僕のように物への執着心があまりない人なんじゃなかろうか、それが故に自分が見つけたこだわりの一品を他人に盗られたような気持ちになったんだろう。自分だけのものであることに非常に価値を見出している。

 話は回り回ってZOZOSUITに戻るけど、多分こういう人はZOZOSUITでセミオーダーメイドの服を買った方が幸せになれると思う。アレもほしいコレもほしいとならない人にとっては、デザインはどうであれこれは自分だけのものであるという点が愛着をもたらす気がしていて、自分の身体という世界に一つだけのものを大事にすることが結果的にモノへも帰着するなんてことをZOZOSUITと今日の増田を読んで、頭の中で過ぎった。

 だから僕も即座に注文したんだろうな。