マレーグマの頭のなか

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読書感想文:知らない人に出会う

 「知らない人に出会う」

自分が何か行動を起こすときは目的もなくただなんとなくが8割を占めるのだが、この本に会ったのもただなんとなく本屋に行ったときになんとなく目についたときだった。そして、可愛らしい犬のおしりと印象的な黄緑のタイトルと帯を見て、タイトルだけを一瞥し「そうだよな、知らない人に出会うってのは確かに大事だよな」と心で頷いて買った。

 

本書は知らない人に出会い、話しかけるのはハッピーでとてもファンなことですよ。だからみんなも一歩踏み出してみませんか?的な本だった。なんというかこういう本は例示が多くてダレる。読んでて目が滑るのは僕の集中力が足りないのか、著者の能力が足りないのか、はたまた翻訳家の技量のせいなのかは分からないが。8:1:1で僕が悪いのだろう。

 

「知らない人にこんにちはと言ってみよう!」と言われたって、こんにちはと言ってもいいがその先のことを考えてないと我々は不安なんだということをもっと知ってほしい。一回知識として知ってしまったら、知らなかったときのことを思い出せないのだから仕方ない。「素敵なワンちゃんですね!」と声を掛けたところで冷凍都市TOKYOでは犬に電柱かのごとくおしっこを引っ掛けられるか、飼い主に白い目で見られて後日不審者リストに載ってしまうだけだろう。むしろ、その後の対処の方が喫緊我々が知りたいことなのだ。知らない人に話したいのは誰だってそうなんだ。無視された後のメンタルの戻し方とか、頬を打たれたあとの気合の入れ方とかそういうのを米国人の豊かなユーモアセンスで切り替えしているような本だと思って買った僕がいけなかったんだ。ちなみに「所得格差が小さいほど他人を助けたりする割合が高い」や「なんらかの状況における少数派はお互いに気づきやすい」などわりかし面白い言説についても取り扱っているのでそこらへんは非常にGOODな情報として受け取っているので全部が全部期待はずれだったわけではない。

 

知らない本に出会うのは平気な顔して手に取るのに、知らない人と「こんにちは」と声を掛けることはこんなにも難しい。セレンディピティっていっとき流行った単語のように偶然の良い出会いも、知らない人が知ってる人になってしまったときに運命や必然になってしまうのも自分がその行為自体を拒否している原因かもしれない。偶然は偶然のままに、なにもなかったことにしておきたい。必然というのは予感が先にきてこそのトキメキだ。

 

まぁなんとなくで買ったものだけに期待を上回ることはなかった。ただ、間に挟まっていた武田砂鉄のショートコラムは非常に共感できたしこれだけでこの本を買った甲斐があったなぁと思ったことは確かだ。これはきっと中古で買ったらついてこないだろうから、新品で買って得したなぁ。

 

あ、あとこの本の装丁をしたところが実は知り合いが勤めているデザイン会社だったりして世間は狭いなぁという気持ちと何となくそういうのが目についちゃうのかなという必然性にクラクラしました。