マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

スルメ

fujiitakashi.hatenablog.com

記憶や思い出はスルメみたいなもんで、噛めば噛むほど味が染みでて美味しいんだけど、原型が無くなっていく。どんなカタチだっけと口から出しても、その形は変形している。その変形した形が、それが事実だったか虚構だったかなんてのは分からなくなっている。咀嚼しても反芻しても満足感は得られる。ただ、忘れさられる部分は沢山ある。でも、それでもいいんじゃないかとも、思ったりする。

 

 

 なんか3年前の自分がそんなことを書いていた。いいなぁ。

 噛み続けると、エッセンスだけになってしまう。咀嚼していない記憶の方が、ふと思い出したときにしっかりと、色鮮やかに蘇ったりする。普段の生活でよくリフレインする記憶の枝葉末節はよっぽどのことが無い限りは忘れてしまっている。あの旅行で乗った電車のボックスシートの位置とか、そのときにどんなことを話したとか、あの子がどんな服を着ていたとか、靴ずれのために絆創膏を貼っていたかどうかとか。しかし、そこに重要な部分が噴出していて、僕らはそれを忘れてしまうためにしばしば怒られてしまうのだ。それもまた大事な行為なのだけれど。

 

 3年前の自分の方が物事の本質を捉える力があったのではないかと、今の自分と照らし合わせてみて思う。今の自分は3年前の、そしてそれ以前の経験だけで人と話しているような感覚になる。それは想像力とは言わず、自分が遺したレガシーである。この書は10秒で筆を滑らしたが、これまで生きてきた50年と10秒なのだという話はあるが、僕はその50年で止まっている。時間を止めずに先に進むことを今はひたすらに考え、動いている。