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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

穴を掘る vol.1

 自分の昔のツイートを掘り起こしている。書くことが思いつかないから種にしてやろうと思って、過去を遡っている。さながらタイムマシンだ。

 書きたいことというのは、大抵まず不満や妬みなどのネガティブな衝動から芽生えてくる。「いーや、俺はポジティブなことを書きたいんだ」となっても書いている途中で ”おかしさ” に気づいてしまう。ポジティブなことは自分にすら伝わりづらいのだ。自分以外に伝えようとしても相当な語彙力や表現力を持っていないとほぼ伝わってくれないから書いてる途中でボヤッとしてしまい、文章が眠くなってしまう。ポジティブなことを表現するのは共感しづらく難しい。

 

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他人の言葉を自分の言葉だと信じてしまう人が増えた。言葉は簡単に借りられる虎だけど、思考しなくなり自らの言葉を発することがなくなる。あげくの果てにはヤミ金みたく借り続けなくてはならない。

 2012年2月末のツイートだ。今読んでも考えは大して変わらないし、そういう人がより可視化されてきたか。

 嘘はヤミ金とは上手に言ったもので、雪だるま式に膨らんだウソに押し潰されるか、何か臓器を売らないと返済できなくなる。嘘で塗り固められた自分から発する声が自分かどうかわからなくなるだろう。これ、最後に虎に食い殺されるとか書いてたら鼻高々でEnterキーを押してそうだ。

 

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すれ違う人がみんな俺の前にいる女性を見てたんでどんな人かと思えば普通だった。期待値は低い方が幸せですな。

 

 同じ期待でも、先日書いた「期待を、つづける」の話ではなく、下心の話だ。

 マスクした女の人が美人に見えるのは、魔法でもなんでもない。隠してるからだ。ニートがいる部屋を隠せば平和な家庭も日本に山ほどあるように、悪いところを隠せば良く見えるのは当たり前だ。

 見えないものに対しては、想像し、期待をする。現代人は感覚器のほとんどを視覚にステータス振りしているから、見えないことへの不安はハンパない。想像をし、期待をする。ああだったらいいな、こうだったらいいな、と。しかし、期待を超えることはそうそう無い。そうして人間は哀しみに暮れ、相手や自分を信じられなくなっていく。

 それが嫌なら最初から期待しなければいい。マスクしてる女は大抵ブス、マスクしてる歌い手はヒョロガリなだけのブス、俺は仕事のできないクズ、駆け込んでもギリギリ乗れないバス、今書いてる企画書はクライアントの気まぐれで通らないカス…嗚呼…。こんな風になっていくとやっぱりつらいので、期待はしていこう。期待は明日を生きる糧だ。前を歩く女性も、二つの眼で見なければ、心のなかで美しく生きていく。

 

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 4,5年前を眺めていると、同じ自分が書いたはずの短文とは言えども別人だなと。口調も何となく自分じゃないような、そんな気もしてくる。まだdigっていこ。