マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ウマ / 終わりの設計

金曜日だし、二週間ぶりに何か書いた方がいい。

仕事のリフレッシュにもなるだろうしね。ここ最近は、なんかコーディング仕事にぶっこまれてしまったので考えに思いを巡らせる時間が少なくて書き物をしたいなと思う気持ちの余裕がなかった。今日は比較的余裕があるので、適当にやっていこう。

 

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 会社の3つ下の後輩とウマが合う。お昼ごはんを一緒に食べたり、会社帰りに一緒にギャラリーへ個展を見に行ったり、なんなら年始に日帰り温泉ツアーに行ったりしたのだけれど、同僚たちに驚かれる。意外な組み合わせだとか、どんな話するのか分からないと言われたりした。

 僕らとしては意外でもなんでもない。彼は美大で哲学研究をして、僕はアートや哲学が好きだ。ただそれだけで話が合う。互いに思想を語り合ったり、オススメの本を教えあったりが楽しい。後輩が女性だったらよかったのに…。

 まぁ30手前にしてよくよく思うのは、同じ文化体験をしてきた人といるのが楽だということ。それは後輩も先輩も、男性も女性も関係ない。

 きっと地方出身で、同じくらいの年齢で、同じくらいの世帯年収で、小さい頃から美術館に親に連れられたりして、美術部だったりして、東京に出てきてみたいな生活をしていた人とだったらば意気投合できるんだろう。共通認識をこれからヨーイドンで作るというのは大変で、美術に興味ない人を美術館やギャラリーに連れて行くのは難しい。動物嫌いな人と動物園には行けない。

 うーんでも、書きなぐりながら実はそこに ”分かる” は必要なく、そこに ”好き” や ”熱意” があればいいんだろうかなんて考えたりしている。何が良いとか悪いとかのジャッジが当たっているかどうか関係なくて、自分がどう良いと思ったのかをハッキリと言葉に乗せて伝えることができればそれでいいんだろうか。分からないなりに伝えようとしてくれる人だったらいいのかもな、なんてフワフワした状態で終わる。

 

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 この広告、なんちゅうか、こう、全くこの記事に書かれている趣旨からは外れるんですけど。この鼻から出た液体、もったいないと思ったりするんですよね。うーん、いや汚いのは分かっているんですけどね。決して飲みたいとかそういう話じゃなくて。お、あーあれよ、アイボンとかもそのまま捨てるのもったいないなって何となく思うんですよ。そうそう、確かによくよく見てみればホコリとか垢みたいのが浮いてるから、汚いなー沢山取れたなー!みたいな山菜採り帰りの家族みたいなこと言えるわけなんですが、これで言えば、ちゃんと鼻うがいできてるのかなって。でしょ?透明な液体を流して、そのまま透明だったら「えー嘘、全然取れてないかも!損したぁ!」って洗面所の三面鏡の前に立ちながら叫んでしまうかもしれない。そんな風に思えちゃうんですよね。色が変わってたり濁ってたりしたら分かりやすく捨てよう!って思うんでしょうけど、ま、変わった色がなんか赤いとか黒いとかだったらめっちゃ不安になると思うんですが、黄色かったり濁ってたりしたらそのまま捨てられてるんじゃないかなーとかそんな風に思ってしまうんですよねぇ。ピップエレキバンは永久磁石だから逆にずっと使えるけど一日使ったら捨ててくださいって書いてあるみたいなことはありますよね。ウチの父親は粘着質な部分を取り替えて使い続けてますけど。ホッカイロとか冷たくなってたりして分かりやすいわけです。まぁ分かりやすく使い終わりましたと分かるって大事なんじゃないかなと、有終の美を伝える、そういうデザイン・設計も大切なのでは。そうでないと人間というのはより良い物が目の前に表れるまでいつまでも使い続けてしまう、それは悲しい。そう思うわけです。