普段からバカをしているところが、急に真面目にやったとしてもすんなり受け入れられる。
しかし、普段から真面目にやっているところが、急にバカをやった場合は往々にして叩かれる可能性が高い。
こち亀の両津勘吉は「ヤンキーが更生するよりも最初からずっと真面目にやっている方が偉い」と言っていたけれど、この下から上へ上がることへの柔軟さと上から下へ降りることへの頭の固さはどうしても逃れられないのだろうか。
そういえば聞いたことがある。キャバ嬢が苦学生をやっているというよりも、苦学生がキャバ嬢をやっているとした方がなんとなくその人の背景やストーリーが見えてくる、というようなことを。
なんとなく相手の気持ちやストーリーを察して、共感できそうな気がすると許してしまうのかもしれない。
理由が見え隠れするような余地は、人物を勝手に心のなかで動かす。
だからこそ、何か物語を紡ぐときは何が起こったのかを詳細にするよりも、人物の背景を詳細にした方がその場面がうまれてくる。
彼・彼女ならどうするか、が物語の車輪となりエンジンとなるのだから。