マレーグマの頭のなか

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「君の名は。」観た

君の名は。」昨日観に行きました。とても面白かったです。単純にエンタメとして完成度がとても高いと思いました。今年は面白い映画が多くてとても良いですね。ネタバレしてるかもしれないので、観る予定の人は読まない方がいいかもしれません。

 

まずは色んなアラが出てたらしいですが、確かに作中での彗星の軌道がおかしいというのは分かりましたが、まぁ別にグダグダと管を巻くようなことでもないかなと。そういうのは新幹線の高架橋の下の屋台でおでんと日本酒を頼みながらそこの大将にでも「はいはい、もう飲み過ぎだよ」と言われながら言っててくださいといった気持ちです。

 

いくつかの新海誠のインタビューを読みました。こういう入れ替わりモノは平安時代辺りからあるらしい。話としては古典的なものなんですね。偏見かもしれんですが、大体こういうのって最後のクライマックスで好きになってしまうお決まりがあります。どうなんだろ、お互いのことを知り合うと好きになってしまうのだろうか。相手がどんな顔でどんな性格でどんな生活をしてても好きになってしまうのだろうか。親密さだけとは違う、よく知っていることと本当は知らないことと隠していることとか。もしかして、相手を知りたいという気持ちが好きとか恋とかなんだろうか。全てを知ってしまったらどうなってしまうんだろう。爆発してしまうのかな。

 

秒速5センチメートルは大学生のころに見たけれど、あれは最後は報われないというかまぁ主人公のヘタレ具合が全視聴者を殺すわけだけど、秒速→言の葉→君の新海誠の恋愛観の進歩に安心した。もう新海誠の作る作品はほぼ女性が裏切りの象徴になっている。きっと彼は青春時代に悪女にたぶらかされたんだろうという想像しかできなかったんだけれど、今回は救われたというかエンタメに振り切ったというインタビューでの発言は最後のハッピーエンドにも表れていたように感じた。

 

結構泣きました。とはいってもクライマックスは上記に書いたようにそこまで泣けなくて、おおよかったよかった視聴者の想像通りの展開でよかったなぁ瀧くんとお父さんのような気持ちで見てました。どこで泣いたのか、それは途中の記憶がドンドン消えていくところでした。記憶は消えていくけれど、やったことの結果は消えない。どういう意図でそれをやったのかは自分の中にしかないが、それは周りも覚えている。だからこそ自分はやったことで周りを固められたことでしか存在できないのかもしれない。マルクス主義的な考え方なんでしょうが、だからこそ今、動かないといけないと。そこで動いたか動かなかったかがこれまでの作品の主人公たちとの違いなのかもしれないですね

 

なんか色々書きましたが、観た後の一人反省会ではこんな気持ちでした。終わった後は目の周りは赤かったかと思います。今日は会社から帰ったら秒速5センチメートルを見て、いまの自分と重ねてボロ泣きしようと思います。