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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

無題

雑記 あとで読み返したい

 オリジナリティのある面白さとはなんだろう。このブログでたびたび扱ってきたジャーゴンの話になってしまうのだけれど、最近いろんな本を読んでなんとなく理解したことがあったので、一つメモ書きとして残しておく。

 近代まで、というかデュシャンが「泉」という作品を世に送り出すまでは芸術は感性によって評価されてきたらしい。作品に対峙し、体験しその作品の物性と精神性が自分の持つそれらと呼応したかしてないか、それでものごとの評価をしてきた。しかしものごとの拠り所が神話や聖書だったためか、印象派のようなこれまでになかった表現技法で描かれた対象などが発表されてもあまり評価されなかったらしい。デュシャンがすごいところは、その感性によって評価されてきた一般の評価軸を知性による評価に変えてきた。明らかに「泉」は感性的には面白みはなく知的なレベルでの解釈によって面白さが生まれる。これまでの美の指標が全く通用しない作品である。

 

 友人にインターネットに放流する言葉がほぼどこからから借りてきた言葉で済むような人間がいる。彼は割と人気があるというかそれなりに人付き合いがあるのだけれど、僕からしてみれば別段面白くはないと思っている。ただ、そこに乗っている文字は面白い。面白さに相乗りしているような感覚だろうか。感覚的には面白いのだが、知的にはおもしろくない。おそらく前提知識による解釈で「面白くない」と評価を下げられたパターンなのだろう。コピーとペーストが非常に簡単にできるようになった世の中において、何がオリジナルなのかは全く分からなくなってきている。他人の面白いツイートをパクる行為であるパクツイで、承認欲求を得ている人もいる。それがオリジナルでなくても「感性的に」面白ければそれでよいという人もいる。ジャーゴンでの面白さは、「言葉遊び」や「我々でしか知り得ないこと」が含まれているため、ほぼ間違いなく「知的に」面白いはずだ。しかし、それがオリジナルでない場合に僕は面白くないと感じる。おそらくこの雰囲気をみんながまとうようになればパクツイやコピーが世の中から淘汰されていくのではないだろうか。

 

 最近知ったアニメのセリフでとても良いものがあったので引用する。「異能バトルは日常系のなかで」というアニメの鳩子が主人公に言ったセリフである。そのシーンが動画で見られるURLも貼っておく。

分っかんないよ。寿くんの言ってる事は一つも分かんないよ寿くんがいいって言ってるもの何がいいのか分かんないよ

分かんない私には分かんないのブラッティって何がカッコいいの血なんてイヤだよ痛いだけだよ黒のどこがカッコいいの

クレイジーのどこがいいのか分かんない罪深いってなんなの罪があるののなのがいいの犯罪者がカッコいいのそもそも混沌てなに

カオスだからなんなの闇ってなに暗ければいいの正義と悪だとなんで悪がいいの何で悪いほうがいいの悪いから悪じゃないの

右腕がうずくと何でカッコいいの自分の力が制御できない感じがたまらないって何それただの間抜けな人じゃん

ちゃんと制御できるほうがカッコいいよ立派だよ普段は力を隠していると何が凄いのそんなのタダの手抜きだよ

隠したりせず全力で取り組む人の方がカッコいいよどうして二つ名とか異名とかいろいろをつけるのいっぱい呼び名があったて分かりにくいだけじゃん

英語でも何でもカタカナつけないでよ覚えられないんだよ鎮魂歌と書いてレクイエムって呼ばないでよ禁忌って書いてタブーって読まないでよ

聖戦って書いてジハード読まないでよギリシャ神話だとか聖書とか北欧神話とか日本神話とかちょっと調べたくらいでそういう話しないでよ

内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味がわかんないよ教えるならちゃんと教えてよ神話に出てくる武器の説明されても楽しくないよ

グングニルもロンギヌスもエクスカリバーデュランダル天叢雲剣も意味不明だよ何がカッコいいのか全然分かんない

他の用語も謎なんだよ原罪とか十戒とか創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか名前がいいだろってどういうこと雰囲気で感じろとか言われても無理だよ

相対性理論とかシュレディンガーの猫とかバイオリン族とかちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ

中途半端に説明されてもちっとも分からないんだよニーチェとかゲーテの言葉引用しないでよ

知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ自分の言葉で語ってよお願いだから私に分かる事話してよ

厨二ってなんなの厨二ってどういうことなの分かんない分かんない分かんない分かんない分かんなーい

寿くんの言う事は昔から何一つこれっぽちも分かんないんだよ

 

www.nicovideo.jp

 

自分の言葉で語ってますか? 

 

あとは、村上春樹の職業としての小説家からP.90 第四回 オリジナリティーについての一節を引用します。

 

 僕の考えによれば、とういことですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。

 

(1) 他の表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。

(2) そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。

(3) その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。