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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

面白い面白いと、面白くない面白い

 徒然という言葉を書く人におもしろい人はいない。というのをアリンコみたいに反射で行動していた大学時代の前半にいつでも面白く今でも面白い人から聞いて、まぁ本当になと今振り返って思うわけです。凡庸すぎて有名な言葉を使うことで何かを言ったような気持ちにさせているから。あの時代に使う言葉としてふさわしいが、今この21世紀に使うにおいて本当にそういう生活をしている人なんていない。資本主義から逸脱して世捨て人みたいな人が使ってこそ、輝く言葉だ。さらには絶対的な文章は相手に考える隙を与えない。考えるというか筆者と読み手がお互いに同じ文脈上で生きていないのに曖昧な言葉を使うことでそれを参照させることで分かったような気持ちにさせない、ということです。

 

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 この夏から会社から「お前は面白いことを作る必要があるのだ!」と言われたような気がして「ああどうしようかしら。なんて無茶ぶりなのかしら。これから私はどうしていけばいいの」なんて頭を抱えて最近会社の近くにできたコメダ珈琲であえて紅茶を頼んだりなんかして。

 ぼくは自分自身が面白くなくて仕方ないだと思っているので、ほいじゃあまずは身近なぼくが面白いと思っている人のところ行って色々とお前が何を面白いと思って生きとんねんってのをヒアリングしようと思って席を立った。じゃあ誰によと。うーん、面白い。この年になれば、小学生のときのものまねができるから面白い友だちとは違って、ちゃんと面白いとはなんなのかをじっくり考えることができる。やはり何か周りを巻き込んで面白いことをしてる人だなと一回考えた結果、いつもの先輩になったけど。

 そこで彼は「世の中には面白くない人がたくさんいるんだね、すごいね」って言っていた。彼自身が面白いとは何なのかをずーっと考え続けているのはあるけど、確かに彼の周りにはお金は持ってないけど明らかに面白い人が大勢いる。その彼が普通の会社のデスクに座っているとそうも感じてしまうのか。彼はいろんなところへ飛び回って、今度はインドネシア、年末にはルーマニアに行くらしい。お金は無いから今から稼ぐと言っていた。二人で話して出した結論は「面白いことを考えなくちゃいけないから、やっぱり世の中にある意味の分からない面白いものをたくさん見に行かなきゃいけないよね」という簡単だけどお金の掛かることだった。よーし今から稼ぐぞー。