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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

京都・土地

オムニバス 雑記

■ 山の民

この話、昔ブログに書いたような記憶があるけど検索して出てこなかったので不思議だ。

 

京都には山がある。どこを見ても視界の奥の方には概ね緑の山が鎮座していた。僕の地元である広島も同じような景色が広がっている。盆地か三角州かの大きな違いはあるが、だいたいどの風景を切り取っても山が見える安心感は同じだった。

僕は山の民である。標高300mに満たない山を切り崩したベッドタウンで育った、山の民だ。ちなみに植林された山ではなく、広葉樹と落葉樹ばかりだったので秋は赤と黄に染まった山、5月の頭の新緑の季節は真緑に染まり、春は山桜が顔を覗かせる四季を感じられる山だった。

 

僕もそうなのだが、山を見ながら育った人は山に飢えていると感じる。東京に来て最も気持ち悪いなと感じたのは山が見えないことだった。広大な関東平野が続きすぎて、谷はあれども山はなし。丘はあれども山はなし。どの地方出身者に尋ねても山がない違和感を感じている人は多かった。

山は変わらないことが美しい。四季折々の表情を見せる変化を絶え間なく、永遠に見られるならそれより嬉しいことはない。それに対して海は変わることが美しい。波間に永遠を感じつつ、それらが常に同じであることは無い。

 

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シムシティかA列車か

京都は移動が面倒だ。僕の中では三択あると感じた。徒歩で頑張るか、自転車でスイーっと行くか、タクシーでセレブリティに行くか。

京都の歴史が深すぎる故に、交通インフラの上に都市が築かれてないがためのこの不便さなのだと感じた。現代にも連綿と続くこの都市形態は牛車と徒歩でブイブイ言わせてた平安時代からのシロモノだろうから、まぁそりゃあ仕方ないのだけれども。徒歩でトボトボと歩いていた僕の小指は悲鳴を上げてマメができました。

 

東京の素晴らしいところは交通インフラの上に都市を置いてった。つまりA列車で行こう形式で街を作ったことだと思う。それが故にまぁ大体どの場所についても行きやすいし、時間がかからない気持ちになる。電車は渋滞が少ないから。まぁここでいう東京都は23区限定の話ではあるのだが。そういえばタクシーを使うとき、東京だと「すいませーん、とりあえず新宿駅までお願いします」と駅名を指定することが多いと思う。地名を言うと分かってくれないことも多い。

 

ただ京都において地名を覚えるのはそう難しくないようだ。縦の道と横の道の名前を覚えると自動的に掛け算すればいいだけだから。とはいえ、五条烏丸と烏丸四条みたいな交換法則が成り立ってそうな前後関係の法則性はまだ理解できてないけどさ。