マレーグマの頭のなか

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手元に何枚のカードがあるか

 先日アダルトVRに行ったけれども、みなさまインターネットで話題になったのでご存知かと思いますが中止になったんですよね。会社の人と僕含めて4人で行ったんですが、これはもうしゃあない、メイド喫茶とか行くしかない。ってなったんですが、まぁ他のみんなも同じ発想だったのかどこも空いておらずトボトボと上野の近くまで歩いて結局普通の喫茶店に入ったんですよ。

 ちょっと高級チックな喫茶店でアダルティな話をするのは多少憚れましたが、みんなアダルトVRに行く気持ちだったので少々ボリュームを落とした声でいろいろ話してたわけですよ。そうしてる内にその中のAさん(もうすぐ30歳)が「野球観戦したい」って言い始めたんです。僕は生粋のカープファンなので「神宮でカープ戦とか見に行きます?」とか誘って、「まぁでもお気に入りの選手とか贔屓のチームとか作らないとモチベーションは続かないですよ、やっぱり」とか言うわけですよ。んで、よくよく聞いてみると野球自体に興味があるわけじゃなくて「リア充になりたい!!!」という気持ちが先行していたわけですね。んで、ちょっと叩かれるわけです。「おいおい、30歳になるってぇのに何かい、まだそんなこと言ってんのかい。そもそもあんた、サバイバルゲームとかラグビーとか結構いろんな趣味もあったじゃあないか」と。実際はこんな江戸っ子口調じゃないんですけど、まぁ諭されてました。

 そういう話をしているときにまぁそろそろ手持ちのカードで勝負する時期なんじゃないかという話題が出たんですよ。ここで言うカードはその人の持つ「普段のやり方」「ピンチの切り抜け方」だったり「趣味」「交友関係」「仕事」だったりするわけですよ。あーそれは結構面白いなと思ったんですね。30歳になるまでは山札からいろんなカードを引いてもいいけど、30歳になってから手持ちのカードが沢山あるのにも関わらずまだカードを引こうとする姿はカッコよくないんじゃないかと。昔ちょうどWebCMが流行りに流行ってた頃、オダギリジョーライフカードのCMで「どうする俺!?」って言ってたのと全く同じですね。きっとカードは引くものじゃなくて切るものなんですよ。切って初めて引くことできる。ただ予め引いとかないと切ることはできない。切り札は最後まで取っておく。みたいな駆け引きは30歳くらいにちょうどやるべき、べき、というかせっかく今まで引きまくってきたカードを切る機会が増えてくるはずなんだから切ろうよ。という話ですね。

 ほいじゃあこれまで僕が引いてきたカードは何枚あるんだと手元を見てもよく見えないんです。たくさんあるようにも感じるし、この場面では絶望的に枚数が足りないかも…みたいな感覚も手を握ること無く分かったりするんです。この確かめる作業というのは毎日を振り返ることでしかできないのではないかと。それこそ毎日のように日記を書いて振り返る作業というのはまさにそれで。他にも友人と話すというのもそれに該当するかもしれませんね。友人と、お互い今はカードを何枚もってるか、ダブリはないのか、交換しあったりひょっとしたら山札から引いてるかもしれませんね。

 カードを切るシーンがどんどんと増えていく年齢に差し迫っている分、今のうちにカードを引いて、いつ使えるカードなのかの把握をせんといかんなと思った週初めでした。