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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

アンチポエム

 どこぞのインターネット界隈ではブログに何かを投稿するときに「ポエム」という言葉を使うみたいだ。いつからそういう言葉を使うようになっているのかは知らないが、アレは「かくかくしかじかをすると身体に良いホニャララ3つ」のような今すぐ使えるライフハック記事に対して何の意味も持たないし役に立たな”そうな”記事に対して付けられる蔑称であって気軽に使って良いもんじゃないと思っている。僕がそう思ってるだけで無垢に使ってる人はいるんだろうけど、”僕は”良い気分ではない。エッセイや随筆と呼びにくい呼びたくない、テキストをポエムと呼ぶにしても、じゃあその境界はなんだろう。自分がある程度有名であればエッセイストと名乗るものなのか、結局自分自身の自信のなさがそう呼ばせているんじゃないかと僕は感じた。もし自ら創りだした記事をポエムというなら音韻や韻律に対して気を配って欲しいもんだ。これまで詩を作ってきた詩家に対して失礼だろう。

 

 みんな情報摂取の感覚が早くないと物足りないようになってきたのだろうか。他の人は「役に立つもの読んだ~うれしいな~」みたいな脳内麻薬が出るようになってるんだろうか。それが当たり前になってるから麻痺しちゃって、ヨダレ垂らしながら情報を摂取し続けないといけない身体になっちゃってるんでしょうね。少なくとも僕は常に情報を探しているから中毒と言ってもいいかもしれないな。とはいえ、お役立ちよりも無駄な日記やボヤキみたいな方を探しまわっているけれども。

 ライフハックとか新書みたいな生きる上での攻略本みたいなやつはいらないかな。結構周りは生き急いでるっていうかこのビッグウェーブに乗らないと置いてかれちゃう!スキマスイッチ的に言えば老いて枯れちゃうって気持ちなんですかね。そこは僕にはよくわからない。

 ネット歴はやっと18年くらいだけど、すごい潮流で荒波のインターネットをサーフィンしてこなかった僕としては、牧歌的でコミュニティを大事にしていたインターネットに夢を見てるんだろうか。3年前ほどにいぬじんさんとお互いに感想を書きあえるようなコミュニティ作りたいですねみたいな話になったときにはそういう気持ちだったのに、はてなの波に揉まれることでそういうのも無しになりましたね。うん。他人の日々の生活の役に立たな”そうな”ものに何かを感じることは難しいんですかね。蔑称で呼ばれ、レッテルを貼られた我々のそれはもうそれ以上のものになり得ないんですかね。僕は少し悲しいです。