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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

サバンナモンキーの睾丸は青い

雑記 あとで読み返したい

珍しいという情報、期待を超えることについて

 

 タイトルの通り、サバンナモンキーは真っ青な睾丸を持っている。ちなみに陰茎は真っ赤なので股間だけ切り取ればアマゾンに生息してそうな美しい花にも見える。サバンナモンキー自体は日本でも各地の動物園でもいるので是非確認してほしい。ぼくも今後注目していこうと思う。

 サバンナモンキーしかり知らない地域の動物を見ることで生命の神秘に触れることはままあるけど、おおよそのところ綺麗な羽を持っている鳥だったり何か大きなモノを持ってたり、変な動きしたりするものにぼくは神秘性を感じている。しかし例えば、僕が長野の山脈で「ほら、雷鳥がいるよ!」ってなっても「なんか可愛いウズラじゃん…地味じゃん…」みたいになる可能性の方が高いと思う。冬の雷鳥なら雪と絶対見分けられないし。

 雷鳥のように地球上に生息する数が少なく絶滅危機に瀕しているから珍しいことを知ってるから珍しいというのはまぁ分かるけど、それを見たところで何にはしゃいでいいのか分からない。18歳のときに東京に出てきたときに新横浜から品川駅に行く間の高層ビルなんてそれはもう度肝抜いたもんだけど、もう見飽きたからか新しくて綺麗な高層ビルが新宿に建ったらしいけど、もうどうでもいいかななんて思っている。

 珍しさは何を基準にして珍しいのか。雷鳥は会いに行かなければ見ることがないけれど、渋谷の野良猫に偶然出逢うこともレアといえばレアだ。この珍しさは自分の外の基準での相対的なものだ。珍しさはその辺に転がっているものだけど、自分のものさしと比べてその出来事が日常という認識だから無視しているのかもしれない。珍しさというのが本来その人自身の経験から算出されるものならば、珍しいという情報に対してどう立ち向かえばいいのか。テレビで言う激レアやスマートフォンに頻繁に書かれるようになった激レアの文字は本当なのだろうか、相対的なレアさに疑問が生じる。 

 昔の人は伊勢神宮に死ぬまでには一度お伊勢参りをしたいなんてことを言っていたらしい。昔の人もそうなのであれば、珍しいものを見に行くというのは、その珍しさ自体に意味はなく自分の掲げたハードルを超えるものなのかどうかを確認するということなのではないか。もしも、伊勢神宮が自分ちの近所の神社くらいのものだったらどう感じただろうか。期待はずれ、なぜこんなとこに来たいと思ったのかなんて思ったりするのかな。そういう意味では神社の鳥居が派手だったり、大仏がとても大きかったり、金ピカの建物があるというのは来た人に対して視覚的衝撃を与えることで有難さを増幅や来てよかったという気持ちを与える装置。人の噂から生じるその期待を超えるための簡単な装置だ。美しく、派手なことはそれだけで意味がある。