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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

なにか、つないでいくもの

海街diaryを観た。

主人公は、血の繋がっている三姉妹と、繋がっていない末っ子。そして、鎌倉という街。

観ていてまず感じるのは、こんな丁寧な暮らしがしたいなと、淡い色合いの中に確かにある生活。庭の梅の木から成る梅の実で、毎年梅酒を作りたい。よければこの美人四姉妹と暮らしたい。ナチュラルメイクというか夏帆に関してはすっぴんに近いんじゃないかという、メイク落とした後の女性の、あの感じで逆にそそられた。

ストーリーに沿ったネタバレはあまり好きじゃないので、適当に思いついたものをザックリと書いていこうと思う。ああ、こういうのあったな。というものを適当に書く。これから下はネタバレになるので気をつけてください。

 

映画のキーワードとしては「血縁」とか「つながり」とか「土着」とかが浮かぶ。誰かが死んでも、連綿と受け継がれる何かはいくつもあって、それは何かの作り方だったり暮らし方だったりのものに転化すること。あとは遺伝していく何か。顔の作りだったり、癖だったり、それははたまた病気だったり。

悪いことをしていると分かっていても、自分のこととなったらやっぱり正当化したい。そこには理屈はなくて、仕方なさを飲み込む自分しかいない。それをどうにかできるのは自分か、他人以上自分未満のそれこそ家族なんではないか。それは血縁者ではない。家族に血縁関係はさほど意味をもたない。

何年も住んでいれば、父親の影がそこにある。土着ではないけれど、自分がいた証みたいなものを含んだ街があるはずだと。長らく疎遠だったこともあるが、ぼくは4月に亡くなった祖母のことを思い出せない。それは何かを受け取った気がしないからだ。僕が高校生の頃に死んでしまった祖母からは、一つ大きなものを受け取っている気がする。他人への贈り物をすることが好きなところだ。何かを贈るたびに、おせっかいをするたびに、祖母がそばにいる気がしてならない。脈々と続いている何かがやはり自分の中にもある。つなげなければとは思わないが、勝手につながれば、それは嬉しい事だ。