マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

原始人として現代に生きる

 

ぶっちゃけ現代は生きることに関しては成人であれば誰でもできると思う。重視されることは「生きる」よりも「暮らす」ことだ。暮らしには余裕がないと、気が向かない。余裕というものを探すようになると、余裕が無くなってしまう。余裕を探す行為は、平穏ではない。何か生きる為に必要のないことは余裕が無ければ行動に起こすことは難しい。この場合の余裕は、肉体、精神、金銭、時間、空間など自分に関わる全てと言ってもいい。平穏や安定を求める行為に人は流されていく。上流から下流へ水が流れていくように、当たり前に、知らず知らずのうちに安定する方へ流れていく。それに気付いてもなお、抗おうとせずに流木として海に漂うだけでいた。現代人たる生き方は、あくまでも生きる為に必要のないことをし続けて自分とは社会にとって何なのかを探すために平穏を抜けだして、上流へ逆らい続けることだ。生きるために必要なことで余裕が無いと、現代人たる生き方はできない。つまりはタダの原始人と同じだ。

 

僕は今、原始人として、現代に生きている。