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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

最近のトイレが怖いって話。

 

 最近のトイレに恐怖を感じている。下品な話です。

 

 ここのところ、色々な建物が新しいものに変わっている。東京では高度経済成長時代に作られた古いものから脱皮をして、21世紀仕様になろうとしているように思える。関東大震災のせいで、耐用年数や地震への恐怖感が増してきているからだろうか。なーんて、堅苦しい導入になったけど、話そうと思っているのはトイレのことだから気張らずに聞いて欲しい。

 最近の建物はトイレが綺麗だ。大理石の壁とかタイルとか普通だし、綺麗すぎて汚せないオーラを出している。きっとこれも作戦のうちなんだろう。僕の母校の高校も大理石のパネルが貼ってあって、うんこをするとき落ち着かなかったことも多々ある。

 

 以上までの文章を書いてから、自宅のトイレに行ってきて我に返ったけど、綺麗さのこととか話しても仕方ない。いや、妙な綺麗さも恐怖の対象ではあるかもしれんけど。んで、本題は何かっちゅうと、本題は流れ方なのだ。

 

 昔は水の流れる勢いを利用してうんこを流していたと思う。きっと和式便器のなごりだろう。こんな水の勢いじゃ流れないよ!バカ!みたいなことも皆誰しもが生きてきて幾つかあっただろう。和式だけでなく洋式便器ですらうんこが水に翻弄されながら、U字管を通じて下水へ旅立っていていた。

 しかし今はどうだろうか。最近は水の運動エネルギーを利用せず、電気エネルギーでバキュームのように吸い込んで下水道へ送り出している。僕はその様が怖い。何故か怖い。考えたけど理由が見つからない。怖い。得も言えぬ怖さとはこのことだと思う。脚がすくむ。ガンバ大阪のガンバとは、頑張れではなくどこかの言語で脚のことらしい。どこの解説をみても足ではなくて脚って書いてあったから、そうなんだと思う。そうじゃなくて、吸い込むんですよ、最近は。

 なんでだろう、昔の便器は吸い込まれても助かる感じがあったけど(助けることは殆どの場合は無いだろうが)、今の便器は助かる感覚が無いと思う。ブラックホールに吸い込まれて、ホワイトホールから出てくることなく一点に凝縮されて無になるんだろうな…という意識が最近のTOTOのトイレから、本能に語りかけてくるのだと思う。

 

 

 僕は流されゆく運命を背負う、僕の、排泄物の一連の流れを見届けること無く、手を洗い、振り返ることなどせず、便所から逃げていくようになってしまった臆病者だ。