マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

君は今フジヤマが見えているか

 

今、絶賛ボケーッとしている期間なので、あまり身体を動かしておらず、頭が回っていない。今日の夜は謎のフレンチをコースで頂けるそうだ。奢りで。ちょっと怖い。そこまで話したことないのにもかかわらずここまでしてくれるなんて、お金持ちのやることはよくわからんで…。とはいて、体を動かしてないから胃腸の調子が悪い。あ、この記事はあくまでも僕の日記であって、この日何があったかまではいかぬとも、ここらへんの期間でどんなことを考えたのかくらいを未来に残せていければいいなぁと思って書いているので、想定読者は僕であり、あまりにも衝動的に書き連ねているためにナンノコッチャ分からんことが書いてあるかもしれない。実は来週、一つでもエントリを書けば1年間(53週)連続でブログを書き続けたことになるのだ。だから一応の気持ちで書いている部分が大いにある。読者には非常に申し訳ないことをしているという自覚はあるので、まぁ、なんたらのよしみってやつで勘弁願いたい。それで、このブログについてだが、当初あまり意識はしていなかったのだけれど、夏くらいに連続26週くらい続いている事実に気付き、ほんじゃあどうせなら一年間くらいやってみようと思いたったのだ。一種のゲーミフィケーションってやつに引っかかったわけだけれど、気持ちとして心地よい快感が湧いてくることは確かだ。ま、バッヂのようなものは付与されることはないけれど、ここに記しておくことでそれを得たこととしよう。そして、実は…でもなんでもないのだけれど、この記事で当ブログは200記事目を迎えることになる。アニバーサリーでもあるのだ。特にパーティは開かないけれど各々それぞれで祝いの気持ちをそっと思ってくれるだけで伝わると思います。予め言っておきます、ありがとうございます。偏にこのブログが続いているのは読者の皆様のおかげでございます。本当に感謝の気持でいっぱいです。嘘です、僕が頑張っているだけです。はい。これも嘘、全部嘘だよ。そんなことよりも2014年もそろそろ8%くらい終わりそうだ。早い。1月2月3月は行く逃げる去ると言われるくらい過ぎ去るのが早い。それは小学生の頃の僕ですら感じていたことなので、今の僕にとってみればきっとほんの一瞬だろう。振り返ってもそこには駆け足で駆けった足跡があり、残っているものはその形と距離だけかもしれない。しかし、もっともっと離れてみないと見えないものは必ずあると思う。先日友人が富士山に行ったらしい。でも、五合目まで車で行った後、直ぐに帰ってきたそうだ。俺が見たかった富士山は富士山から見える景色ではなくて、遠くから見える富士山の雄大なパノラマチックな景色だったと。いわゆるフジヤマが見たかったそうだ。近くだと何も見えなかったと。そこに何かあることは分かるが、それが槍ヶ岳なのか日本アルプスなのか富士山なのか恐山なのか分からない。人が沢山いるからきっと富士山だろうと思ったそうだ。そうだね、ひょっとしたら振り返ったときにフジヤマが見えるような人生だったら気持ちがよいのだろうな。もしも、既にフジヤマが見えているならば、まっすぐ進んでいた足の方向を変え、それを別の角度で見てみてはいかがだろうか。僕はそれがどんな形をしているのか皆目見当がつかないけれど、ひょっとしたらもっと歪な面白い形をしているのかもしれない。僕が見えたらそうしたいと思っている。物事は一面性しかもっていないものなどないと信じているからだ。僕がこの一年間で書き続けた日記は今、フジヤマとまでは言わないけれど、僕の地元を囲んでいる山くらい僕を見つめてくれているだろうか。やっと一年経ち、とても気持ちがよい、清々しい気分だ。