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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

二年分のメモ

会社辞めるから二年分のメモから仕事についてじゃないものを抜粋した。二年もあるから結構たくさんあるだろうと思ったら、全部で1300文字くらいしかなかった。まぁ、仕事のものを含めれば数万文字くらいはあるだろうけど、見せられないし、見せてもしょうがないものが多かったので、意味の有りそうなものだけをここにメモっとく。メモノメモ。

 

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アイコンはハイコンテキストかと思えば、共通体験でくくればアイコンの方がローコンテキストな可能性が大いに有り得る。

 

心をどう考えるか。風景に反映される心情。むしろ、心情はリンクするのはなぜか。晴れた日に悲しいことがあっても良いし、雨の日に嬉しいことがあってももちろん良いよね。何かを書かなければならないという強迫観念が根を張り、花を咲かせるとする。比喩を使えば何となく分かる。コンテキストだ。

 

日本みたく順番通りにインターネットが進化したわけじゃなくて、ぶっ飛ばされた東南アジアではどんなものが不必要か必要かわからない。社会主義ならではのサービスとは。

 

例えばおばあちゃんの名前が思い出せないあの人へ電話する場合は電話帳を使う。そういう「どこかにある」を引っ張りだすことは出来ないだろうか。なんだかそういう記憶の取り出し方とか。あーあの曲はーとか。例えば、携帯の中の記憶を取り出したいときには、siriのような問診があれば非常に有効っぽい。

 

 

モバイルには、移動しないと効果を発揮しないというデメリットがある。

 

「生」という言葉の意として「固まっていない」というのがありそうだが、生、「そのまま」かもしれないけれど、そのままの状態を知らない。だから、何が「生」なのか全く消費者たちに伝わっていない。

 

「まとめ」と「まとめカス」をちゃんと提示できた方が良いのではないか?

 

幅が広ければ、装飾を適度に。幅が狭ければ、演出を適度に。

 

順序を逆にするってーか、読めないRSSリーダーはどうだろうか。タイトルで先にスタックして、スタックしたものしか読めないようなもの。読むならばスタックしろ。タイトルで餌をうまく掛けた人が勝ち。ただ、それらの記事を読んだ後に「アリ」か「ナシ」かを判定させることで自分の目利き力とその記事を書いた人のクソさが露呈するとかいうサービス。ゲーム。

 

アプリを買うときには、アイコンで何なのかってのは大事な気がしてるけど、実際に使うときは、そうじゃなくて、他と違うアプリなんだとかひと目で見つかるとかそういうほうが大事な気がする。結局わかりやすさとは何なんかな。持続性のあるわかりやすさと、広告のような刹那的なわかりやすさがある。

 

写真で風邪を撮った作品のよう。脚に光が出るものをつけて踊る。それをキネクトで空中に固定化して、それをさらに3Dプリンタで固める。軌道は歴史。

 

違和感に気づいた瞬間、それは確信に変わる。違和感があるという状態は気づいている。

 

人間の拡張とはどんなことを指すのか。身体的拡張or精神的拡張?例えば、位置情報を補足するシステムを使って、普通は知り得ない情報を知ることができるのは精神的拡張?「知ること」を重視する必要があるのではないだろうか?自分の手に余るものをもらったとき、それはどうなるんだ。

 

デバイスを介すと検索になってしまう

 

チラシって、ほしいものではなく安いもの会社側が売りつけたいものガセ脳している。あれ?つまりはマッチングサービスなんじゃないか?