マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ニィマルイチヨン

遅くなりました。今年もよろしくお願いします。

 

表現の幅が伝える言葉によって変わりゆく。言葉だけでなく、自分が出来ることによって変化せざるを得ない。見せて分かればそれでよく、感じて分かればそれでよい。言葉よりもわかりやすいものを探す一年にしたい。

 

頑張るぞー。

―――

 

今や連絡が取れればなんでもよくて、TwitterFacebook、LINE、メールなど様々な手段を使って情報を伝達してくるけれども、結局確認する際にはその伝わった情報よりも、どの連絡手段を通じて情報が伝わったのかが大事になってくる。

―――

 

昔は見知らぬ土地を移動するときは、車や徒歩など移動手段に依存することなく、るるぶやまっぷる等の地図を広げながら「ここは何処の路地だろう」「次の信号を右、あ、その次だった」などをつぶやきながらだった。そして、大抵の目的の場所に行くには住所ではなく「目印となるもの」が必要だった。「あのダイエーの裏の路地を真っすぐ行って左手」とか「まっすぐ行ったら赤い看板が見えるから、その直ぐの道を右手に」みたいなことが書いてあった。いや、確かに今でも書いてあるが、それの必要性がだんだんとなくなってきたことを感じる。

 

道順が分からなければ、住所から場所を割り出すしかないが、現実の世界で番地が簡単に割り出せるわけがない。僕は自分のビルの隣のマンションのどちらが僕の番地よりも数字が高いのか、低いのかを今だに知らないし、知ろうとしたこともない。ただ、今は携帯電話という非常に便利なものがある。このデバイスのおかげで道順よりも、住所の価値が相対的に上がった。

 

何故ならGoogle Mapsがあるから。今必要な物は目印ではなく、正確な住所なのだ。目印なんてものは既に臨場感を出すためのものでしかなくなった。確かにまだ住所を入れても正確な場所を記すとも限らないし、住所というものは想像の余地というものは設けられていないタダの記号でしかない。しかし、Google Mapsなどの地図アプリでは住所を入れなければ、うんともすんともいかない。

 

 

デバイスの変化に依存して必要なものが、道順から住所になる。地図を見るときは住所なんて逆に面倒なだけだったのに、道順なんて今や現地に行かなければ何もわからない逆に不便なものになりえる。ただ、想像の世界では道順が大事だと考える。準備段階で脳内でシミュレーションしたことが現実の道筋とリンクしたときのワクワクは格別で、忘れることのない体験となる。それもGoogle Mapsストリートビューでできる。すごいぞGoogle!いや、そんなことが言いたかったわけじゃないのに…ま、いいや。