マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

肩が痛いのに取り外せないのは人体の構造的欠陥だと思うけど、神様はそういうことを考えてなかったっぽい

過密で、複雑な都市に住んでいる我々が、東日本大震災という共通の体験をしたことによって、または原発という未来への問題を互いに持って暮らしていることによって、複雑さがより絡みあったのか、または緩んできたのかを表現できればいいのではないか。

くっついて、離れて、またくっついて。携帯電話やインターネットでその一連の流れが容易に、頻繁に行われるようになった。しかし、人々の生活は変わらない。容易になったら、移動という概念がもっと軽くなったのかと思えば、ベドウィンのように遊牧民的暮らしをしている人はあまりいない。土地に縛られ、流動性を失った人々ばかりだ。流通するのはモノとカネで、ヒトはとどまり続ける。

 

他人の脳みそを憑依させたらこんな感じかな。

 

―――

「どうしようもなくウェブ」

あのころは60億だった人類が、いつの間にか70億になっていた。

あのころは1192年に出来ていたはずだった鎌倉幕府が、1185年に国を作っていた。

「いい国つくろうキャバクラ幕府」なんてもう言えなくなっちゃうんだろうな。今の子供達はなんて語呂合わせしているのだろう。「いいヤゴゲット鎌倉幕府」とでも言ってるんだろうか。ヤゴは鎌倉幕府じゃなくて平成でも取れるからだめか。わけわかんねー。

気づかぬ内に置いてかれていた。僕の知識は中学生か高校生のときで止まっていた。

 

いつの間にかYoutubeにCMが入っていた。たかが3分、たかが10000再生の動画に15秒のCMが挟まっていた。これを考えると、テレビが如何に良心的なもんかと、Webってこんなにつらいもんだったかと頭を抱える。あのころは、Webは無限に広くて、なんでも品揃えがあって、何を注文しても許されて、どこまでいっても無料というイメージがあった。お金のことなんか考えたくなかった。今は、カネ、かね、金。仕方ないことだとは思うが、ゴールドラッシュのときのフロンティアもそんな感じだったんだろうか。どこまでいっても大陸で、いくらでも切り拓ける。しかし、金塊や砂金が出てきた瞬間にどこからか人が群がってきた。俺はただ、その今の地平線の向こうが見たかっただけなのに、何だこいつらは。と、悩んでいたら、いつの間にかサンフランシスコから太平洋が見えて、フロンティアも終わり。と、なるのだろうか。

 

――

「俺は。」

 

とある技術を見て、「あ、これはこういうことができるなぁ」とか「こういうものに使えるかも」という頭の裏にあったヒントがめくれる感覚が大事なんだけど、それが僕は得意だと思っていたし、それが買われていたから企画のようなことをやらせてもらっていたのだけれど、意外とそうでもなかったのではないかと思っている。(中略)でもね、胸を張って俺はだめなやつだなんて言えないし、プライドを捨てた俺なんて見たくないよ。俺は。