マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

自分の分身

 

 

穏やかな人のブログを2つほど拝読させて頂きました。やっぱり自分のブログの中身は誰かに対して攻撃的だなぁーって。人に優しくしたいってのが人生の目標で。目標ってことは、やっぱり優しくできてないのが実情で…。んでやっぱり優しく出来ない自分が書いた記事ってのは、昨日作った厚揚げの煮物くらい旨味がにじみ出ていて嫌いじゃないんだけれども、これはなかなかどうして、やっぱり他人が見た時にこういうの読みたくないよなぁ。読んでも面白くないんじゃないかなぁーって。本当は。としか思えないんですよね。なんちゅうか、こう、優しい人たちは言葉遣いの端々ににこやかな菩薩が住まわれているというか、僕の文章には羅刹が住んでいるというか…。

 

そういう人たちはどういう生き方をしているんだろう。何か悟ってらっしゃるのかな。僕の口からは「乳白色」とか「神聖な」とか絶対出てこない。出てくるとしても「白っぽい」とか「美しい」とかいうひねてないといえば聞こえはいいが本能のままに書きなぐった幼稚園児の落書き帳みたいなもんだ。それ自体は素敵なもののはずなんだけど、レベルが低くて人の人生に干渉しない程度の私的なものに過ぎない、自分で素敵なんて言っちゃうところがまた稚拙なんだけれど、そういうツマラナイものの一欠片なんであろう。

 

あーあー、本当はあーいったかっちょいくて人から「素敵な文章ですね!惚れ惚れする!」とか「文学に近い」とか言われてーよー!文章で勝てないんだから、自分自身をさらけ出して勝つしかないんじゃないか。

 

 

あ、でもでも、ちょっとまって、なんか思い出した。

そういえば僕に関してよく言われることがあって

「君って、好き嫌いがハッキリと分かれてて、素敵だね」

多分、みんな好きだ、嫌いだってハッキリ言っちゃうことはしないんだ。

よく言われるからきっとそうなんだ。

僕のいいところはそこなんだ。

 

そこが出てる文章が書けてればいいなぁ。

それを感じて読んでくれてれば、いいのかなぁ。