「機能しているかどうかの判定」でリトマス紙が引き合いに出されるのは何故か。
リトマス紙って、アルカリ性、中性、酸性を判断するものだから、
機能しているか、しないないか、だとあまり意味のない指標にならないだろうかと。
と思ったけれど、「AがBにおけるリトマス紙になる」ということを言う時には
だいたい人間が関わってる気がする。
だから、結構機能している、だいたい機能している、まぁちょっとは機能している
あんま機能していない、ぜ~んぜん機能してない、みたく白か黒かでいかないような
判断はたくさんある気がするのだ。段階を追って評価するものとしての指標。
曖昧さを残した。そういうことなのではないかな。
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僕は一人暮らしが苦手だと思っている。
まぁ、だいたいみーんな同じようなものだとは思っているんだけど、
部屋はそんなに綺麗じゃない、自炊はたまに、それで生鮮食品を腐らせたりする、
休みの日はベッドの上でダラダラと過ごす…などなど…。
まぁ、良くない暮らし方をしていると思う。
誰と比べてとかじゃないけど、精神衛生上良いとは言えないと思う。
それで、なんで一人暮らしが苦手なんだろう…というか、
一人暮らしでここまでダラダラと過ごしてしまう理由はなんだろうと考えてみた。
すると、一つのことが浮かび上がってきた。
僕は カッコつけ だということ。
普段、「カッコつけ」の僕は人からよく見られるために緊張しながら生きている。
人が普段意識しないような部分、例えば歩くことだと足の曲げ方、
接地するときの指の置き方、地面を蹴るときの足、地面に付いてる方の脚、
周囲から人がどっちに行くのか、対してどう僕は動けば周りに迷惑がかからないか
手の振り方、スマホを持っている方の手はどうかを、実は色々と意識している。
これに誰かが気付くかというわけではないのだけれど、
これに気付いてくれた人とは、是非ご飯を食べて互いの価値観をぶつけたいし、
是非お友達になって月に一回くらいちょっと良さげなご飯を食べたい。
そういう「カッコつけ」をしている。
これに気付いてくれた人は今のところ片手で数えるほどしかいないけれど、
とても良き人生のアドバイザーとして年上年下関係無く慕わせてもらっている。
しかし、疲れるのだ。
非常に疲れる。実際に神経を感じているわけではないので分からないが、
神経を使っていると思っている。
だから、一人の時くらいはダラダラと過ごして何も考えずに
誰にも見られずにダサいことばかりを無意識的にしているのではないだろうか。
そう、僕は同棲することを検討している。
誰かに見られることで常に緊張感を保ったまま過ごしてみたらどうなるか。
ま、気の合う仲の人と過ごすわけだから思い通りになるかわからないけど、
ちょっと家に帰ってからのダラケ具合が今のままじゃダメだってわかってるから
これからよろしくお願いします。
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Furue が Future に見えた。