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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

オムニバス

 

なんだか結論がつかない。

とりあえず、頭のなかを散らかす。

 

■ 書くこと

 

文章を書くことはインプットであり、アウトプットでもある。

まるで猫が自分の尻尾を追いかけるように、蛇が自分の尻尾を食べるように。

尻尾という過去を追いかけて、未来を一緒に追いかけている。

 

 

■ はじめの第一歩をつまづかせる人

 

第一人者がハードルを上げることによってその業界が衰退していく未来。

例えば、データサイエンティストという職種・肩書きは非常に最近になって出てきたものがある。従来から似たような仕事をしていた人が「あ、俺、いわゆる世間的にこれじゃん。明日からこれ名乗ろう、ラッキー」となったとして、ブログに「データサイエンティストとして成るべく読む本」などというエントリを書いたとする。そして、世間はそのエントリを読んで「あ、こんなこと勉強しなくちゃデータサイエンティストになってはいけないんだ…」と、少なくとも僕は感じた。

 

これでは只々、既得権益を守って門戸を閉じているだけだよ。

 

なんでもそうだけど「これは非常に難しいことなんです!」っていうのを喧伝するのは簡単だけど、「これは簡単だから、君も一緒にやってみようよ」って言うのは非常に難しい。自分のお財布が縮む可能性があるのだし。でも、それでいいのかな。

 

友達に最近よく言うこと「ブログやろうよ。一緒にやってみようよ。文才なんて要らないよ」

 

 

■ 名乗ること

 

肩書きや職業や自分を名乗ることは非常に難しい。

僕はフロントエンドエンジニアやWebデザイナーとして会社で仕事をしているが、その肩書に見合っている能力を持ちあわせているのかと言われれば、怪しい。非常に怪しい。

しかし、この肩書を名乗ることで頑張っている面も無きにしもあらず。これに見合う能力を、結果を出すべく名乗っている。明日から考古学者ですと名乗れと強制されたら、それに見合う仕事をするように勉強するだろう。この発想はある意味昔の日本の士農工商と似てるのではないだろうか。

 

 

 

■ 南国のひとたち

 

寒い地域の人々が自分たちの食うものをこさえるために努力した。そして、科学が発達し、機械文明になり、人間の生活が豊かになり、暖かい国へ進出した。暖かい国の人達は豊かだった。食べるものはそこら中にあった。暖かいのであまり衣服を身に纏わなくても暑ければ海に飛び込んで涼むことができた。

しかし「新しい豊かさ」が北国から輸出され、「今までの豊かさ」の価値観が変わってしまった。自分の周りに物が無いと満足できなくなってしまった、他人と自分が違わないと満足できなくなってしまった。心だけでは豊かになれないのか。この物語はここで終わり。

 

 

豊かであったはずの国が、豊かでなくなり。

豊かでなかったはずの国が、豊かになっている。