友人が京都へ旅行していたら、
「すいませ~ん、写真撮ってもらってもいいですか?」
そう言われて、「あ、はい、いいですよ」と答えるとiPadのようなタブレットデバイスを渡されたそうだ。
僕ならば一瞬、
“えっ!?これ?な…あっ、そういうことか”
自堕落な思考が0.2秒、閃光が走る。
何故戸惑うのかといえば、僕の頭の中では「タブレットデバイスは写真を撮るものではない」というステレオタイプな概念が巣食ってるから、ただそれだけ。この旅行者は地図、乗り換え案内、カメラ等々…全てを兼ね備えた最強のデバイスとして使っている賢い人たちなのだ。ああ、なんて旧世代の人間なんだろう。こうやって時代から乗り遅れていってしまうんだね…。
僕は一眼レフカメラで写真を撮るのが好きなので、タブレットを写真を撮るものとして使うことはないだろう。何故なら、「写真を撮るもの」といえば「カメラ」だからだ。
しかし、僕よりも年上の人達は「写真を撮るもの」といえば「フィルムカメラ」だろう。きっと、彼らはカメラはアップロードするものではなくて、撮ったものを現像してアルバムに入れるまでが写真であると考えてるんじゃないかな、勝手な想像ですけど。デジタルカメラで撮ったものでさえ、ちゃんとヨドバシカメラのような家電量販店か家庭用プリンターで現像しているのでは、現にウチの親はそうだ。
僕の場合はデジタルカメラで撮ったものを現像せず、Flickrにアップロードしている。
「写真を撮るもの」といえば、カメラだけれど、「カメラ」の概念は変わってきていることがこれまでで何となーく分かる。80年代から90年代の旅行におけるカメラの定番と言えば「写ルンです」等のインスタントカメラだった、はず。少なくとも20代前半の自分がそう思うのだから、僕よりも年上の人間もそうだと思う。ちょっと下の世代だときっとコンパクトデジタルカメラ。更に下の世代だとケータイ、iPhoneに象徴されていくのだろう。携帯電話ならどこでも誰でも持っていくのが当たり前だから。
これからはGlass Wearがカメラの代わりになるのだろうか、それはそれで楽しみだ。
ここまでで アナログ → デジタル → デジタルデバイスの変化 が行われていることが分かる。
なぜ、変化が生じているのか。
技術の進歩によって、あらゆる「機械」が小さくなり、一つのモバイルデバイスに対していろいろな機能が詰め込まれ、さらには人間の体に近づいてきているからだろう。カメラとは何か。というよりも、写真を撮ること、さらには写真の概念が変わっている。
物理的なものに代わって、「過去の場面や対象」が「写真」になっていて「過去の場面を切り取るもの」が「カメラ」になっているのではないか。本当に知らず知らずのうちに変化を受け入れている自分が怖い。
------------ ↑ ここまで 背景 かもね ------------
本当に話したいことは実はユーザーインターフェース(以下UI)についてだったのだけれど…。
ここでいうUIとは「人間とデバイスの接点。それに付随する人間の行動」とでもしておこう。
ここまでで相当長くなってしまった。
------------ ↓ ここから 本題 のはず ------------
続く。