マレーグマの頭のなか

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引越しのワケ



 

 忙しいわけじゃないけれど、色々と予定が立て込んでいてうまい具合に日常的なタスクが消化できないことが、ここのところ頻繁にあるきがする。おそらく、1月の中旬あたりから「引越し」を決めた時辺りから、それが顕著に目に見え始めた。

 

 引越しは何のためにするのだろう。新しい学校の為?仕事の都合?今の土地が嫌になった?結婚のため?子供が大きくなったから?もう、今の家、飽きちゃった?……みんなどういう基準で、何が起こったら引越しを決めるのだろう。

 

 自分が引っ越した理由はひとつ。飽きたからだ。取り巻く環境に飽きてしまった。

 

 飽きたって言葉は発したくないものの一つであるが、恐らくそれが今回のケースでは最もふさわしい言葉になってしまう。前の居住地は僕が大学生として東京に来た時に住み始めて、6年経った。大家さんとの仲は良好だし、近隣住民とのいざこざも無いし、部屋にも不満足な点は無いし、特に引っ越す理由としては不十分なのかもしれない。ここである人物の言葉が出てくる。大前研一だ。

 

 正直なところ、大前研一老害としか思えないようなコラムを何本かWebのメディアで読んでいるのだが、昔すごい人だったんだなぁってのはわかるので色々と割愛する。重要なのは、大前研一ではなく、大前研一が言った言葉なのだから。それはこれだ

 

 

自分が変わるために

  1. 時間配分を変える
  2. 環境を変える
  3. 付き合う人を変える

 最も無意味なのは「決意を新たにすることだ」

 

 

 カッコいいよね。自分で気付かなかったのはダサいけど、ちゃんと飲み込まないと。

 今回は、この2.を久々に実行しようと思った。 

 

 これに出会ったのは大学1年かの辺りだけれど、そのころの自分は何かデザインだとか広告だとかをやりたかった。しかし、僕は大学は理系の大学なのでそういったことを学べるサークルなどはなかったし、個人でやるにしても限界があると感じていた。だから、意を決して某私立大学のいわゆる広告研究会の門を叩いた。環境を変えなければ、今の環境のままであれば一歩前進するのに一苦労すると思ったからだ。この決意は大正解だったようだ。今でも素晴らしい友として交流を続けている。他にもエピソードになりそうなものはいくつかある。

 

 今では毎年毎年、決意を新たに何かを始めようと思うが、今年は決意をする前にまず環境を変えようと思っていた。環境を変えることで、何か色々と連鎖して新しいことが産まれていく。今年は転職でもしたいと思っている。何か、自分の思い描く自分がより明確に見えてくる一年になれるのではないだろうか。