マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

城之内死す

 

 

最初にバスっと<今から書く記事の結論やテーマを言う>のは良いのか悪いのか。

あーこの時点でこの記事のテーマがバレちゃったかもしれない。

そう、そういうことなんだけどさ。有名な次回予告ネタバレみたいな感じ。

「孫悟空敗れる。悟飯怒りのほにゃらら」とか「城之内死す」みたいな次回予告時点での内容リークみたいなもんだと思うんだよね。頭だけしか読んでないけど結果バレちゃうよ!みたいな。

 

うーんつまりはさ、なんというか、その時点で自分にとって興味のないテーマだった場合、「あ、今日はこういう話なのね。じゃあいいや。他のところ巡回しよ」みたいになる気がする。

少なくとも、はてブやブログのRSSなどを使用してきた僕にとってこの思考は普通だ。好きなテーマしか見ない&読まないから。

でも結構それってやばくて、広く情報を摂取してない気がするんだよね。

お菓子しか食べてないから155cm 85kgになりました、ごめんなさい、みたいな。

 

これは結構インターネットにて言われている「ネットは能動的に情報を取りに行くからテレビよりもいい」とか「テレビはマスコミが恣意的に情報を投げているから見ていても意味が無い」みたいな発言はどーなの?って思うのよね。

インターネットって自分の好きなものしか食べないから情報太りが起こる気がするんだ。好きなものばっかり食ってたら偏食しちゃうでしょ。

 

Twitter のフォロワー、「友達とか身内」「好きな人」「面白い人」「面白いbot」くらいでしょ。

Facebook とかも基本的には会った人だけ…でしょ。

それだったら意味もなく自分の興味ないけど付け続けているテレビの方が有益になることが多いんじゃないかってやっぱり思っちゃう。や、確かにその情報が正しいのかどうか、とか思想が入ってないかとかはあると思うけど、それはインターネットに漂う有象無象の情報だって同じで。

既に「テレビで言ってた!」ってのと「インターネットに書いてあった!」ってのは殆ど同じ意味合いになっていることに気付くべき。ネットにバカが進出してきて10年くらいだけど本当に車輪の再発明というか情報の焼き直しというか井戸端会議してるオバちゃんの声

みたいなのが増えてると思う。

カスかお前らは。考えろや。

少なくとも自分の声でアウトプットしてくれ。

他人の言葉を借りまくったその言葉は本当に意味が無い。

 

 

確かにコレまでに書いたことは他の人だって思ってるかもしれないし、Google先生に聞いてみれば山ほど検索結果として反映されるだろうけど、自分でちゃんと書くことによって反芻して消化を助けるというか自分の身につくようにしてるんだよ。思考の整理をしてるの。

 

という思考の変遷があって、最初に書いたこととは大分かけ離れてしまいました。推敲は多少するけども、頭に思ったことは大抵きっかけでしかなくて、このブログにおいて一つのテーマをダラダラと長く続けるように引用だったりをするような労力を今の状態ではあまり掛けたくないのでこんな感じであります。

 

とりあえず、みんなブログ書こうぜ。