マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

輪郭を知るために、周りを整えていく

 このブログで答えを求めることはほとんどしない。答えをここに書いたところで、本当にそれが答えなのかどうか、人によって違うことは当たり前だからだ。

 

 自分で何かを調べるという行為をしなくなった人が多い。ま、自分もそうであるといえばそうなのかもしれないけれども。しかし、Yahoo!Google の検索バーにキーワードを入力し、検索ボタンを押し、遷移されたページの上から10個ほど見れば世の中の体系化されたことはだいたい分かる。分からないことは、検索する言葉すらも見当たらないときくらいだ。

 先日、近所の柴犬が、あの、プラスチックと思しき「アレ」を首に巻いて散歩をしていた。「アレ」である。「アレ」について知りたいと思った時、現代人はインターネットという文明の利器に頼る。誰も煩わすこともなく、検索バーに疑問を投げかければ答えをくれるからだ。素晴らしい。きっと地球の裏側ではサーバのメンテナンスや記事に対してインデックスを付ける人達の手を煩わせているのであろうが、彼らは今は無視しよう。それで……

 ………いや、やめよう話がそれた。インターネットがなかった位の昔の人であればどうやって「アレ」の名前を知ることが出来るのだろう。きっと、知識欲に駆られた少年は、「アレ」を付けている犬猫の飼主に「コレ、なんていう名前なんですか!?」とか聞かないといけない。そしたら「この子の名前はタロウよ。うふふ、可愛いでしょ。」みたいなすれ違いがあろうとも最低限のコミュニケーションが必要だ。それでも分からなければ、きっと犬猫病院の獣医さんに「アレの名前が知りたいんですけど!犬とか!猫とか!首に付けるやつですよぉ…!」みたいなことを聞きに行かなければいかんのだろう。そしたら「それは『エリザベスカラー』という名前ですよ。犬や猫が縫った場所を舐めたりしないようにするための道具なんですよ」なんて優しく女医さんが教えてくれるんだろう。

 こんな風に、昔は自分の気になることをダイレクトに聞きに行く能力が大事だった。速度が大事だった。周りの人間も自分の知識欲を満たすためにはそうすると知っているからそこら辺の許容があった、それゆえに聞いても許されていたし、聞いていた。それとは反対に「犬、猫、首、獣医」とかのキーワードだったりフレーズだったりを考える能力が今の世の中で重要なことになって来ている。知らない事柄を知るために、その周囲を整えることでそれの輪郭を浮き彫りにするやり方。どっちがいいかってのは置いといても、大きく人の意識は変わってきているのではないだろうか。

 

 うーん。コミュニケーション能力が大事と言われているのに、のにね。