マレーグマの頭のなか

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結果と過程の不等式 (暴論)

仕事において

「過程よりも結果が大事に決まってるだろ」

っていう人がいる。僕はそうは思わない。過程の方が大事であるべきだと思う。ただ、それには間違いのない結果が付随していないとビジネスは成り立たないからあれだけど、決して結果 > 過程 では無いと思う。ただ、このセリフに限って、本来の意味は、ビジネスでは客にとって過程は見えないものであり説明不要だから、という側面があると思う。

とはいえ、開発等の過程を甘く考えているから、見積もりを甘く出してしまい納期に間に合わなかったりする。結果のみが大事なのであれば、それを出せばよいということになるからだ。過程を重視すれば、目先の利益にとらわれて案件を取ったりすることも考えなおすだろう。

…と言いつつも、このことはあんまり仕事ベースで考えてないんですよね。実は、仕事じゃなくて生活する上でこの 結果 > 過程 という不等式が人々の中で芽生え根を張ってしまっている結果、今の世の中の悪いところが最近出ているのではないかと思うのです。

 

というのも、なんでぼんやりとそんな世間に投げかけるような話題を提供するのかというと、最近、巷で話題にっている、芸人さんたちが沢山生活保護を受給していてそれがビジネスモデルにすらなっているのではないか?ということ。これが思考の種になってます。

Studygiftも北九州市原発廃棄物の話もどっかの市議会議員の献血の話も、

結果を得るのに正しい過程を経る必要はない。自分の正義感を振り回せば解決し、その解決した世界を見たい。

という過程が伴っていなければ結果が誤解されるようなことに、結果だけを公衆の面前で言っちゃうことのひどさを感じた。

なんか、頭の中でまとまってなくて、自分のまとめメモみたいになってるけど、結果が大事だ!と言い続けられた我々の結果の社会が現在の世の中の歪みを出しているんじゃないかと思います。本当に結果だけでいいんだろうか、過程はそこに至るまでに確実に存在しているものなのにそこまで蔑ろにしてもいいのか?とおもいましたまる