マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

嫌よ嫌よも好きのうち

好き嫌いの話。

 

僕は食べ物に関しては好き嫌いがない。うちの兄弟全員がそうなのか?と尋ねられると、そうでもなく、兄は「しいたけ」、「ピーマン」等がダメで、姉は「うに」、アレルギー的に「メロン」が嫌いだ。僕は、小さい頃から好き嫌いがなく、褒められていた。

ただ、この年になって、小さい頃に好き嫌いがある方がいいなぁーと思うことがある。例えば、兄は「しいたけ」も「ピーマン」も今の年(30後半)では食べられるようになっているのだ。「食べられなかったものが食べられるようになって、しかも美味いと感じる」という体験が出来るのは素晴らしいことだと思う。僕には永遠にないであろう体験だ。

だから僕は、能動的にこの現象を生み出すために、物事の好き嫌いをハッキリとさせるよう生きることにした。

特に、好きでないものは全て嫌いにカテゴライズするのだ。

無関心にカテゴライズすることは、危険だ。興味を生産しなくなった人間は、終わっていることと同じだ。好きか、嫌いかの二択にあえて選別することで、それを避けるのだ。

草間彌生。僕は、彼女の毒々しい色々の作品や刺々しい作品を好きになれなかった。毛嫌いするわけではないが、口にするときは「良さがわからない」や「嫌いなんですよー」と言ってきた。それは、個人的な感想であるので決して間違いではない。ただ、草間彌生のことを知ろうとしてない結果なのだ。今、銀座で草間彌生の展覧会が行われているらしい。そのことを知った僕は、草間彌生が好きという女性に「美術手帖の2012年4月号 草間彌生特集号」を借りた。彼女のことが知りたいからだ。

その雑誌を読めば読むほど彼女のことが知りたくなった。毒々しい作品群も気にならなくなった、とまでは行かないが、彼女自身が気になる存在になり、彼女の生涯を知ることで彼女へ感情移入できるようになった。この体験は先に上げた体験に非常に似ているのではないか。擬似的に作り出しているとはいえ、この心や身体を開く体験は非常に快感である。

 

ああ、そういえば、僕の親友の3人も、最初の印象はそんなに良くなかった気がする。

おみくじも、凶を引けば、運気は上がるだけだという。

始めがボトムラインでいいじゃないか。

自分も嫌われていいじゃないか。

それからなら、好かれるだけじゃないか。

 

【追記】

タイトルをちゃんとつけます