マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

日記

 渋谷を歩いていると「5億」の数字が目に入った。BIGだ。駅から東西南北どこに行っても売り場がある。じゃあ例えば宝くじで5億当たったとして。その大金をどうするのかを考えることは多分誰しもが考えることだろう。これまでお金が無かったが故に叶えられなかった夢を叶えたり、仕事を辞めて悠々自適に暮らせるように願ったりするのが普通なんだろう。

 僕はこのお金を頭の中に思い浮かべた時に、両親と共に死んだ祖父母や別れた彼女が思い浮かんでしまった。お金で買えないものをいざお金を手にした時に考えてしまった。取らぬ狸の皮算用より、今買えないものを大事にしておかないと、きっとまた手放してしまった時に同じことを辿ってしまうだろうと、自分のみじめさに情けなくなった。

 

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 間違い探しのカタルシスの向き先が、自力で解けたことではなくなったかもしれない。サイゼリヤの子供用メニューには、間違い探しが載っているが、これが本当に難しい。10つの正誤があるはずなのに、8つくらいしか自力では見つけられない。

 インターネットになんでも載ってしまっているから、実はそれも載っている。載っているというのは公式が発表しているわけではなく、自己顕示欲なのかみんなにも知ってほしいからなのか動機は不明だがサイゼリヤの間違い探しですら載せていることに使命感を抱いている人が世の中にはいる。

 ただ、この解けずにモヤモヤした気持ちを晴らすことにインターネットの間違い探しの答えの存在意義があるというのなら、それは単に自分の胆力がこそぎ落とされなくなっただけのことなのかもしれない。

 今期のチーズの間違い探しについては、現在8つの間違いを見つけ、次の来店時にもう一度探すつもりだ。

日記

今日もリハビリ

 

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今月の初めあたりから腰の痛みがひどい。どのくらいひどいのかといえば、靴紐を結ぼうとして「よっこらせ」とか言いながらじゃないと屈めないし、屈むと腰の中央あたりが張った感じがして、ビキッとくるので全く前屈ができない。部屋に落ちているものですら膝からいかないとピキッとくるし、毎朝顔を洗うのですら結構つらい。これが桜木花道が体験した選手生命の危機か…みたいな気持ち。

 

さすがにもうダメ~と思って整骨院に向かって骨や筋肉を整えてもらった。去年の年末あたりも似たようなことになってたけど、今回は保険適用の整骨院だ。そして、初めて鍼を打ってもらった。髪の毛よりも細い鍼らしい。確か8本くらい打ってもらったのかな?打つ時に痛いのかなと思いつつ、打たれたタイミングなど実際よくわからなかった。先生の手でトントンと叩く音で、あ、今打っているんだろうな、お、ちょっと筋肉が変な感じするな。みたいな感覚だった。

 

施術前は屈むのも結構辛さがあったのに、術後はとある閾値を超えると痛みは出るものの、すごく軽くなっていた。やっぱ定期的にいかないとダメだな、人間の体にもメンテナンスは必要だ。そういえば歯医者にも行かないとなと身体のあちこちへの思いを巡らせていた。

 

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宇宙兄弟の最新刊を買い、読んだ。なんとなく気づきつつあったけど、宇宙兄弟の物語の作り方メソッドとして「とある良い言葉を始めに匂わせて、最後につなげて完結させる」ってのがあるなーと分かりつつもやっぱり読み終わると泣いていた。とはいえ、最近は泣ける話が減っているのが少し寂しい。

日記

久々に日記を書く。

この二ヶ月ほどは仕事が非常に忙しく、いつも仕事をする前に書いていた日記メモすら書くことなく自分の仕事を全うしていた。かといって、心の機微が動くようなことがあったわけでもなくただただ奔走していた。忙しくなったりストレスで精神的に参ったりしてしまったために食事がとれず数kg痩せてしまった。やっと忙しさが緩和されたのでよかった。

 

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Spotifyのプレミアム会員になった。

6月末までに会員登録すれば3ヶ月間は100円だそうだ。割と曲と曲の間のラジオのようなCMは嫌いじゃなかったんだけど、プレミアム会員になると逆にそれが聞けなくなってしまうらしい。少し寂しくなってしまうな。

 

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周りにちびっこがいないときは割と横断歩道じゃなく道路を横断してしまう。悪いとは思ってるけど。横断禁止の看板が出ているところは横断すると便利なんだという証左になってしまう。

優しさの決闘

 バスで通勤している。東京で暮らしているのに電車通勤じゃないっていうのは意外と珍しいかもしれないけど、高校を卒業して以来10年経過して、理解したことは縦に移動したいならバスが最良の選択という事実だ。電車と違ってバスはあまり利用されていないような気がする。利用者の年齢層は割と高く、もう東京で根を張っている数十年経っただろう老人達が電車で押し潰されるのを忌避してゆったりとバスで目的地に向かっているように感じる。僕もその雰囲気が好きで乗っていると言うのも悪くはない。

 

 いつもの60番代のバスに乗り込んだ。仕事終わりに東急ハンズに寄ってペットの可愛いハリネズミのために紙ででいた床材を買い込んだ。リュックがパンパンだったが、重さはあまり感じなかった。僕はバスの奥まで詰めない人に対してあまりいい感情を持っていない。なので出入口付近に留まらずに率先して奥の方まで進んで向かう。奥は人が少ないので気も楽な面もあってそうしている。今日も同じように奥まで進んだ。つり革じゃなく、暖色の手すりの前がマイプレイスだ。と、いつものようにその前に陣取ったら、そこに座っている小太りの、いや、言い方はアレだが十分にデブの、ボーダーのシャツを着た人が一人で二人がけの席を占領していた。3DSを両手にして、何かゲームをしていた。

 

 別に座りたいという目線を送っていたわけではない。そもそも二人がけの席に1.5人分くらいの体躯を寄せて、余った0.5人分の隙間(空間というには広くはない)に自分のこれまた大きい肩掛けショルダーバッグを縦に置いていた。そんな隙間にわざわざ座ろうとするやつはいるだろうか。僕だって普通の人より痩せているとはいえ0.75~0.8人分くらいの尻の大きさだろうと思う。女性のズボンは履けるだろうが、キッズサイズではない。だからそのまま立っているのも特に問題はなかった。しかし、僕が目の前に居座った瞬間に彼はなんとその大きなショルダーバッグを自分の膝の上に乗せ始めたのだ。その行動は彼なりのマナーからなのか罪悪感からなのか分からないが、僕はひどく驚いたと同時にその行為を優しさと名付けた。

 

 多分他の乗客も驚いたと思う。いやそんなスペースに人は入らないだろうとか、オイオイオイ死ぬわアイツみたいな目で見られたと思う。それを遮るようにして自分のスマホだけを一点に見つめていた。実際に座ってみると、彼は足を開いて座っていたせいか、僕のお尻の3分の1、脚1本は明確に通路にはみ出していた。しかし、彼の優しさを受けない選択肢は絶対になかった。昔の剣豪はどんな相手でも果たし状を受けたら手を抜かず決闘を行っただろう。宮本武蔵になっていた。片手にスマホ、もう片方に心の余裕を持った二刀流の剣豪の誕生だった。正直言って狭かった。狭かったので早く降りてくれという一心で座り続けていた。彼の優しさと僕の意地が闘った10分間だった。

 

 僕の座右の銘に「囃されたら踊れ」というものがある。この言葉でググると自分の昔の日記が出てくるほどそこまでメジャーじゃないのかもしれないが、いい言葉だと思っている。「乗せられたらとことん乗ってやれ」ということだ。こういうのに優しさを感じるようになったのはいつだったからか分からないが、勝手に優しさを受け取って苦しさを感じるのも悪くない。

思い出の削り節

何か、週に一回、ともすれば月に一回くらいのペースで誰かに読んでもらえるようなものを定期的にきちんとした形で出していきたい。では何が自分にできるのだろうかと考えた時に特にこれといった自分の強みに当たるようなものが出てこない。ならばやはり書評や映画の感想のような誰かの肩に乗っかるようなものがいいのかなと無い知恵を絞るとそういう結論が出てくる。レモンサワーで絞り終えたあとのレモンから絞ったくらいの美味しくも新鮮でもない一滴のそれだ。書籍にしろ映画にしろ漫画にしろ、自分が評するにあたっては知識が圧倒的に足りない。感想の域を全く出ることはないだろう。ああ、何もない人は思い出を消費するしかないのかと。じゃあ、エッセイとかなのか?と思い、会社のバックヤードへふらふらと自らの無能さに辟易しながらたどたどしい歩みを進めてPOPEYEを開く。エッセイとはどんなもんやと各有名人のエッセイを読む。一度、二度、読む。そういうことなのかと。インタビューも自分の住んでる街のことも、誰かの年月を削っているだけなんだ。かつおぶしなんだ。誰もが薄く削られた誰かの削り節を摂取しているんだ。何度か削れば消えてしまう素人のかつおぶしか、何度削っても旨みが出てくるような大きく太い専門家のかつおぶしかの違いなだけなんだ。今ここで読んでいる下手くそな文章も、ライターの人たちが時間を掛けて書いた文章も同じ誰かの年月を削った削り節だったんだ。そう考えてPOPEYEをそっと閉じて元の場所へ戻し、仕事の続きを始めた。