マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ポスト◯◯とイノベーション

 何を読んでそう思ったのかは忘れてしまったが、ポストモダンやポストロックなどの「ポスト◯◯」の◯◯に当てはまるものとは、イノベーションを起こしたものなのであると年明けごろに気がついた。◯◯ = イノベーション の式が成り立つもののことだ。

 そもそもポストとはなんぞやと。「ポストA」とは、よく「A以後、Aのあと」と訳されることが多い。それだと自分の中ではあまり腑に落ちなくてこの「ポスト」という言葉を見るたびに渋い顔をしていた。けれども、昨年下半期にはちょっと長いが納得のいく説明ができるようになった。

 それはまず「ポスト」の概念は、「Aの概念が行き渡って、それありきになった世界以後」ということを悟ったからだ。「A以後」の「A」と「以後」の間にはこんなにも長い文章が隠されていた。構造主義ありき、ロックンロールありきで作られた物事がポストの概念。ただの時間軸の話ではなかった。

 イノベーションとは、「技術改革」という薄っぺらい言葉でもなんでもなくて、世界でそれありきでしか語られなくなったものと考えれば、その「ポストA」現象を起こした「A」だと言って過言ない。構造主義という思想の技術、ロックンロールの演奏や作曲の技術のことと言われれば納得のいく道筋が見えてくる。

 しかし、世界と言ってもこういうことが言えるだろう。インドネシアの奥地に住んでいる未開の地の住人たちは我々と時を同じくしているにも関わらずポストモダンやポストロックを共有していないと。つまりは「ポストA」とは周辺世界、自分たちの手の届く範囲での話である。Uberは奥地では使えないし、火星でiPhoneは使えない。だからこそ時間軸は関係なく、どちらかと言えば時間を伴った空間軸の話なのだ。

文章から湧く量感

警備員10人に聞きましたはアウト

おまわりさん10人に聞きましたはセーフ

ミュージシャン10組に聞きましたはアウト

レゲエミュージシャン10組に聞きましたはセーフ

40代10人に聞きましたはアウト

東京大学を卒業した40代10人に聞きましたはうーんアウト

東京大学野球部を卒業した40代10人に聞きましたはセーフ

 

直感的な量感を文字から算出してその可否を判断している。ふるいに掛けるには自分の情報量の方が足りてないはずなのに、セーフかアウトか判断できてしまう。そして、往々にしてその判断は大体正しい。

ウマ / 終わりの設計

金曜日だし、二週間ぶりに何か書いた方がいい。

仕事のリフレッシュにもなるだろうしね。ここ最近は、なんかコーディング仕事にぶっこまれてしまったので考えに思いを巡らせる時間が少なくて書き物をしたいなと思う気持ちの余裕がなかった。今日は比較的余裕があるので、適当にやっていこう。

 

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 会社の3つ下の後輩とウマが合う。お昼ごはんを一緒に食べたり、会社帰りに一緒にギャラリーへ個展を見に行ったり、なんなら年始に日帰り温泉ツアーに行ったりしたのだけれど、同僚たちに驚かれる。意外な組み合わせだとか、どんな話するのか分からないと言われたりした。

 僕らとしては意外でもなんでもない。彼は美大で哲学研究をして、僕はアートや哲学が好きだ。ただそれだけで話が合う。互いに思想を語り合ったり、オススメの本を教えあったりが楽しい。後輩が女性だったらよかったのに…。

 まぁ30手前にしてよくよく思うのは、同じ文化体験をしてきた人といるのが楽だということ。それは後輩も先輩も、男性も女性も関係ない。

 きっと地方出身で、同じくらいの年齢で、同じくらいの世帯年収で、小さい頃から美術館に親に連れられたりして、美術部だったりして、東京に出てきてみたいな生活をしていた人とだったらば意気投合できるんだろう。共通認識をこれからヨーイドンで作るというのは大変で、美術に興味ない人を美術館やギャラリーに連れて行くのは難しい。動物嫌いな人と動物園には行けない。

 うーんでも、書きなぐりながら実はそこに ”分かる” は必要なく、そこに ”好き” や ”熱意” があればいいんだろうかなんて考えたりしている。何が良いとか悪いとかのジャッジが当たっているかどうか関係なくて、自分がどう良いと思ったのかをハッキリと言葉に乗せて伝えることができればそれでいいんだろうか。分からないなりに伝えようとしてくれる人だったらいいのかもな、なんてフワフワした状態で終わる。

 

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wpb.shueisha.co.jp

 

 この広告、なんちゅうか、こう、全くこの記事に書かれている趣旨からは外れるんですけど。この鼻から出た液体、もったいないと思ったりするんですよね。うーん、いや汚いのは分かっているんですけどね。決して飲みたいとかそういう話じゃなくて。お、あーあれよ、アイボンとかもそのまま捨てるのもったいないなって何となく思うんですよ。そうそう、確かによくよく見てみればホコリとか垢みたいのが浮いてるから、汚いなー沢山取れたなー!みたいな山菜採り帰りの家族みたいなこと言えるわけなんですが、これで言えば、ちゃんと鼻うがいできてるのかなって。でしょ?透明な液体を流して、そのまま透明だったら「えー嘘、全然取れてないかも!損したぁ!」って洗面所の三面鏡の前に立ちながら叫んでしまうかもしれない。そんな風に思えちゃうんですよね。色が変わってたり濁ってたりしたら分かりやすく捨てよう!って思うんでしょうけど、ま、変わった色がなんか赤いとか黒いとかだったらめっちゃ不安になると思うんですが、黄色かったり濁ってたりしたらそのまま捨てられてるんじゃないかなーとかそんな風に思ってしまうんですよねぇ。ピップエレキバンは永久磁石だから逆にずっと使えるけど一日使ったら捨ててくださいって書いてあるみたいなことはありますよね。ウチの父親は粘着質な部分を取り替えて使い続けてますけど。ホッカイロとか冷たくなってたりして分かりやすいわけです。まぁ分かりやすく使い終わりましたと分かるって大事なんじゃないかなと、有終の美を伝える、そういうデザイン・設計も大切なのでは。そうでないと人間というのはより良い物が目の前に表れるまでいつまでも使い続けてしまう、それは悲しい。そう思うわけです。

期待を、つづける

 そういえば今週は何も書いてなかったな。

 他人に期待してはいけない、と最近はインターネッツを漂流していてしばしば見るようになったと思う。個人的には何とも寂しい風潮が蔓延しているなぁと思ったりするものの、やはり他人に小さく期待して裏切られて、ちょっとしゅんとし続けている。やはり言説としては自分を傷つけないための良い処世術だと読みながら頷く。

 そういえば昨日はこんなことを思った。誰かからお願いごとをされたあとに、このお願いごとから今後どういう道筋が辿れそうなのかを相手に指し示したほうが良かったのかもしれない。お願いごとは単なる作業でなく、俺はあなたがこのお願いごとをしてくれたおかげでこんなことが分かったぞ、今後に繋げられるぞみたいなアピール。それはどこかの国では感謝とも言うんだけど、それをまざまざと見せられた方が嬉しいかもしれないなぁと。

 これも相手が喜ぶためにやっていることで、期待をかけているのとあまり変わらない。このアピールが失敗して自己嫌悪に陥っても、感謝をされたくて相手とのやりとりを丁寧にすることは必ずよい結果をもたらす。自分が相手の立場になったときに気持ちが分かるからだ。感謝の気持ちは体全体をつかって相手に伝えると良い。ありがとうを言ってくれてありがとうと。

 コミュニケーションというのは相手への信頼で成り立っている。信頼は期待と置き換えても良いかもしれない。この言葉が通じるか通じないかをいちいち気にしていてはコストも大きく心労もデカい。通じると期待して、僕たちは言葉に想いを乗せている。だったらその想いを、最大限ポジティブに汲み取ってもいいんじゃないか。

コンプレックス・エンジン

子供の頃の原体験がやりたいことや自然と湧き上がる欲望に密接に関わっている。梅原大吾慶應義塾大学で行われた講演を聞いていて感じた。彼は様々なコンプレックスを抱えている。著書からもそれが読み取れる。世の中ではコンプレックスはその人以外から見ると醜く、良くないものだと捉えられることがほとんどだ。しかし、コンプレックスは忌避すべきものではなく、コンプレックスはものごとを続けるためのエンジンそのものだった。燃料であるガソリンは、そのコンプレックスを刺激する周囲からの影響だ。醜悪な顔貌、貧乏な生活、不勉強だった過去、自らのスキル不足などを他人から感じ取れることがそのままガソリンになる。もっと格好良くなりたい、お金持ちになりたい、頭が良くなりたい、もっとできるようになりたい。僕はそういうところから既にドロップアウトしてしまったのかもしれない。いつからか、欲も怒りもなくなって、ある種の諦観が自分の頭の中の8割以上を占めていたように思う。昔から何をやってもそれなりにできていた。親兄弟や環境は恵まれていた。しかし、それ以上にはなれなかったし、なろうとしなかった。年齢が上がっていくにつれて、自分よりも何かが秀でている人が周りに集まってきた。コンプレックスが刺激されることはなかった。いつか芽生えるはずの反骨心のようなものが欠如しているのかもしれない。高校でバスケ部から逃げたときに削り取られたのかもしれない。身長が低く体重も軽かった自分は何をやっても勝てる気がしない。レギュラーをとれる気がしない。なら美術部にいこう。そういう考えで逃げたと言ってもいい。絵を描くのは楽しかった。しかし美術コースの友人たちは僕よりずっとずっと早いスピードで絵を描くことが上手くなっていく。それでも絵を描くことは楽しかった。僕は金銭的な面から美大を諦めて東京の国立大学に進んだ。あのとき親をなんとか説得して一浪してでも美大受験に行けばよかった。諦観はそこから身についてしまったんだろうか。後悔するような選択はどこにいってもつきまとうと思う。あのとき美大に行く選択をしなければ、ワーキングプアのような生活をしないで済んだかもしれないのにと後悔している僕が平行世界にいるかもしれない。子供の頃になりたかったものはなんだったっけと、振り返ってみても本当にしたいことを思い出せない。理由なしにしたかったことなりたかったことを見つけることが今やるべきことに繋がるのだろうか。何も無いことがコンプレックスとなって、今、エンジンがやっとできあがりつつあるのかもしれない。

 

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